演じる。
会社での自分が気持ち悪くて仕方がない。いわゆるぶりっこ。愛想笑いと伸びる語尾。まさにぶりっこ。だって、そのほうがおじさん達が笑ってくれるんですもの。ピリピリした職場は働きにくい。わたしが。
ちょうど1年前、社会にいざ出るぞというとき、わたしにもいろんな不安があった。仕事がちゃんとできるだろうか、怖い人にいびられないだろうか、いや、そういう具体的な悩みよりも、「社会人」という得体の知れない集団そのものに対する恐怖の方が大きかった。もちろん同級生の友達も同じように不安を抱えていて、先輩に話を聞いてもらい、励ましの言葉をもらったりしていた。しかし、これが、わたしが同じように先輩に相談してみても、「いや、アンタはおじさんに好かれるから大丈夫よ」とあっさりしたもので励ましの言葉もなにもあったもんじゃなかった。同じ立場にある同士と慰めあおうとちょっろっと悩んでいるそぶりを見せても、「いや、アンタはおじさんに好かれるから大丈夫よ」と全く同じことを言う。この時期はmixiの日記までもが「アタシやっていけるかしら」「がんばってね!いつでも相談に乗るよ!」のやり取りで溢れていたのに、わたしは現実世界でもmixiでも「アンタはおじさんに好かれるから」ばかりで結局だれも心配なんぞしてくれなかった。なぜだ。ちと淋しかったんだけども。ちょっと「わたしもとうとう社会人なのねん」と感傷に浸ってみたかったんだけども。
でも、実際に社会人になってみると、まさにみんなの言うとおりでベタベタにかわいがられている。たった一週間という短い時間しか共有していない同期にも「お前はきっとかわいがられてるんだろうな」と言われた。なんなんですかこの現象は。わたしの知らないところで、でも紛れもなくわたしの世界が、勝手に成長して動いている感じ。みんな口裏合わせてんじゃないのか。とにかく、わたしはおじさんじゃない人からはおじさんにかわいがられそうに見られて、おじさんである人には本当にかわいがられるらしい。
最初は、いや向こうが勝手に好意を持っているのよ、とも思ったけど、最近思うのは、このわたしのぶりぶりな振る舞いは、実はわたしが彼らの好意を自覚していたのだということの立派な証明になりうるものであり、つまり相手が喜ぶ「わたし」を無意識のうちに計算して演じているんじゃないかと。ズルいなぁ。悪い女だ。
ミスをしても、「ごめんなさい…(泣)」とか「エヘ、やっちゃった☆
」で許されてしまう。マジで。まるで漫画の世界。いや、でもマジで。そして実際にその手を使う自分を客観視して、おえっと思う。同期にそんなわたしの立場を羨む男子がいるが、こんなのちっとも嬉しくない。同じミスをしたのに、他の人は怒られて自分は怒られない、というのが、なんと居心地の悪いものか。考えてみればこの23年間、親も含めてわたしは他人から本気で怒られたことがない。だからちょっとのことで落ち込む。嫌になるぐらい打たれ弱い。
まぁそれも若いうちはいい。存分に利用するがよろし。しかし、最近の目下の悩みが、年をとってからの身の振り方である。このぶりっこが、一体いつまで通用するのか。若い頃の栄光を忘れられず、年をとってからもソレに頼ろうとする人間の姿は非常に痛い。特に女の若さや美しさへの過信というのは、他人から見た自分をバケモノに変えてしまうことが多々ある。後姿はスレンダーなギャルなのに、振り向いたらしわくちゃだった、とか、絶句モノですね。なので、どこかで大人の女の振る舞いにシフトさせていかねばと思うのだけれど、いや、しかしだね、今はやっぱりぶりっこが1番スムーズにコトが進むんだよなぁ。でも、このままいくとぶりっこが身に染み付いて、いや、もうすでにベッタリ染み付いていて、10年たっても20年たっても違う振る舞いはできなくなるんじゃないかと、それが恐ろしい。
つーか、そんなことばかり考えていると、ふと、「アレ?“本当のわたし”ってやつぁ、どこにいった?」と、頭がこんがらがってしまう。演じてばかりじゃないか。シェイクスピアとかいう劇作家が「人生とは誰もがその役を演じなければならない舞台である」というようなことを言ったらしいけれど、なんかもう、そういうもんなのかもしれないなぁと諦めにも似た気持ちだ。じゃあ、完璧に演じてやろうじゃないの。「わたし」という観客を、満足させてやろうじゃないの。取り合えず、今はわたしの中の演出家が今後の展開の持っていき方に頭を悩ませているところなのだ。
なんか長くなったけど、ぶりっこの自分が気持ち悪いと言いたかっただけです。
私は影響されやすいので、誰かに影響されてこんな書き方をしてみたくなっただけです。
明日はDVD返す日だぁー。あと2本早く観なくちゃ。
ちょうど1年前、社会にいざ出るぞというとき、わたしにもいろんな不安があった。仕事がちゃんとできるだろうか、怖い人にいびられないだろうか、いや、そういう具体的な悩みよりも、「社会人」という得体の知れない集団そのものに対する恐怖の方が大きかった。もちろん同級生の友達も同じように不安を抱えていて、先輩に話を聞いてもらい、励ましの言葉をもらったりしていた。しかし、これが、わたしが同じように先輩に相談してみても、「いや、アンタはおじさんに好かれるから大丈夫よ」とあっさりしたもので励ましの言葉もなにもあったもんじゃなかった。同じ立場にある同士と慰めあおうとちょっろっと悩んでいるそぶりを見せても、「いや、アンタはおじさんに好かれるから大丈夫よ」と全く同じことを言う。この時期はmixiの日記までもが「アタシやっていけるかしら」「がんばってね!いつでも相談に乗るよ!」のやり取りで溢れていたのに、わたしは現実世界でもmixiでも「アンタはおじさんに好かれるから」ばかりで結局だれも心配なんぞしてくれなかった。なぜだ。ちと淋しかったんだけども。ちょっと「わたしもとうとう社会人なのねん」と感傷に浸ってみたかったんだけども。
でも、実際に社会人になってみると、まさにみんなの言うとおりでベタベタにかわいがられている。たった一週間という短い時間しか共有していない同期にも「お前はきっとかわいがられてるんだろうな」と言われた。なんなんですかこの現象は。わたしの知らないところで、でも紛れもなくわたしの世界が、勝手に成長して動いている感じ。みんな口裏合わせてんじゃないのか。とにかく、わたしはおじさんじゃない人からはおじさんにかわいがられそうに見られて、おじさんである人には本当にかわいがられるらしい。
最初は、いや向こうが勝手に好意を持っているのよ、とも思ったけど、最近思うのは、このわたしのぶりぶりな振る舞いは、実はわたしが彼らの好意を自覚していたのだということの立派な証明になりうるものであり、つまり相手が喜ぶ「わたし」を無意識のうちに計算して演じているんじゃないかと。ズルいなぁ。悪い女だ。
ミスをしても、「ごめんなさい…(泣)」とか「エヘ、やっちゃった☆
」で許されてしまう。マジで。まるで漫画の世界。いや、でもマジで。そして実際にその手を使う自分を客観視して、おえっと思う。同期にそんなわたしの立場を羨む男子がいるが、こんなのちっとも嬉しくない。同じミスをしたのに、他の人は怒られて自分は怒られない、というのが、なんと居心地の悪いものか。考えてみればこの23年間、親も含めてわたしは他人から本気で怒られたことがない。だからちょっとのことで落ち込む。嫌になるぐらい打たれ弱い。まぁそれも若いうちはいい。存分に利用するがよろし。しかし、最近の目下の悩みが、年をとってからの身の振り方である。このぶりっこが、一体いつまで通用するのか。若い頃の栄光を忘れられず、年をとってからもソレに頼ろうとする人間の姿は非常に痛い。特に女の若さや美しさへの過信というのは、他人から見た自分をバケモノに変えてしまうことが多々ある。後姿はスレンダーなギャルなのに、振り向いたらしわくちゃだった、とか、絶句モノですね。なので、どこかで大人の女の振る舞いにシフトさせていかねばと思うのだけれど、いや、しかしだね、今はやっぱりぶりっこが1番スムーズにコトが進むんだよなぁ。でも、このままいくとぶりっこが身に染み付いて、いや、もうすでにベッタリ染み付いていて、10年たっても20年たっても違う振る舞いはできなくなるんじゃないかと、それが恐ろしい。
つーか、そんなことばかり考えていると、ふと、「アレ?“本当のわたし”ってやつぁ、どこにいった?」と、頭がこんがらがってしまう。演じてばかりじゃないか。シェイクスピアとかいう劇作家が「人生とは誰もがその役を演じなければならない舞台である」というようなことを言ったらしいけれど、なんかもう、そういうもんなのかもしれないなぁと諦めにも似た気持ちだ。じゃあ、完璧に演じてやろうじゃないの。「わたし」という観客を、満足させてやろうじゃないの。取り合えず、今はわたしの中の演出家が今後の展開の持っていき方に頭を悩ませているところなのだ。
なんか長くなったけど、ぶりっこの自分が気持ち悪いと言いたかっただけです。
私は影響されやすいので、誰かに影響されてこんな書き方をしてみたくなっただけです。
明日はDVD返す日だぁー。あと2本早く観なくちゃ。
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